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明日の実

できない… と できる!


「できない…」
 全会衆は大声をあげて叫び、
  民はその夜、泣き明かした。


「できる!」
 民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、
  その町を攻め取った。


私たちの言葉は芽を出し、成長し、実がなる。
私たちは確実に言葉の実(結果)を見る。

「できない」と言った10人はイスラエルの民が泣き明かす姿を見、先の40年の荒野暮らしを見ることになった。「できる!」と言った2人は約束の地に入る民を見、自分の足が約束の地に立っているのを見た。

今日の言葉が明日の実を作る。

神にとって不可能なことは一つもありません。


まだ知らない

情報の中で




人がもし、
何かを知っていると思ったら、
その人はまだ知らなければならないほどのことも
知ってはいないのです。


1999年の一年間の情報量は、それまでの人類史の全情報量を上回った。
そして今現在、その10倍以上に膨れ上がっている。

私たちは、洪水のような情報の中で知っていることが日々増えていく。
しかし本当に知らなければならないことは、その洪水の中で見つけるのは難しい。
聖書を開くとき、知るべきことがそこにある。

人間には罪があること、死があること。
神には 愛があること、罪に赦しが、死に救いがあること。


「ない」と「ある」

イエス・キリストの手に…



男だけでおよそ五千人もいた。

 イエスは、彼ら(弟子たち)に言われた。
「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」

 彼ら(弟子たち)は言った。
「私たちには五つのパンと二匹の魚の他何もありません。


私たちは「ない」と嘆くことがある。お金がない。時間がない。信頼する人がいない…。
しかし「ない」と確定してしまうと「ある」が見えなくなってしまう。

弟子たちの手の中には少年の小さなお弁当があった。
しかし弟子たちは「ない」ことにとらわれ、
少年の差し出した小さなお弁当をイエス・キリストを諦めさせる材料に使った。

イエス・キリストは小さなお弁当を「ある」とし、祝福し祈った時、

人々はみな、食べて満腹した。

イエス・キリストの手の中に委ねる時、それは「ある」に変わる。
私たちの人生が豊かになる方法がここにある。


それ以上

神からのギフト


金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。




人生「思っていたものと違うこと」はよくある。しかも思っていたよりも悪かった方に。

神とともに生きる人生も「思っていたものと違うこと」は多々ある。
しかしそれは良い方に。
こんな良いものだったのか!こんな素晴らしい瞬間を与えてくれるのか!

男は金銀を求めたが、神は男の想像以上のギフトを与えられた。

それならば、私達が生きている人生にもまた同じことが起こる。
思っていたものとは違う。さらに良いものが与えられる!



時に遠道

ベストな道



パロがこの民を行かせたとき、
神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には
導かれなかった。神はこう言われた。
「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに
引き返すといけない。」


私達は地図を広げると一番効率の良い道のりを行こうとする
飛行機を予約するときも経由ではなく直行便を選びたがる。

しかし時に神は私達を遠道に導かれる。
私たちは子どもが親にするように、神の手を引っ張り近道に進もうとする。

神の選ばれた道には必ず理由が、目的がある。
危険の回避であったり、受けるべき訓練であったり。
あるいは神の用意された祝福が置かれているかもしれない。

神はイスラエルの民を「恐れ」から守られた。

神の手をしっかりと握り、遠道を楽しむ者でありたい。